2018.5.20.sun.-2018.5.26.sat.
5年前と5年後、10年後について
展覧会の最後の最後に、浦沢直樹先生が中学生の時に書いた文集が展示されていた。展示物のことなのでここに詳細は書けないが、
『10年後漫画家になっている』という類の内容をもっとセンス良く書いていた。わたしは山口県立美術館の回し者ではないが、気にっなった人、是非行って観てほしい。
中学生、14、5歳の時からの10年後は、24、5歳だ。中学生の時は自分がそんなお姉さんになるなんて想像できなくて、夢を語るのが恥ずかしくて、10年後は『かわいいお嫁さん!』とか吐かしてたな。
大体、『高校…?いかんといけんのん?』くらいに思っていた。(私は荒れた中学校に通っていて学校に魅力を感じることができてなかった。)まさか自分が高校に行き、大学にまで行ってるなんて。中学生の時は10年後なんて想像できなかったけど、今のわたしからしたら5年後。大学卒業してどんな職についてるか考えられないけど、5年後の自分のために日々奮闘してると行っても過言ではない。中学生の時ふざけて答えてた10年後が5年後の今の私の頭をこんなに悩ませているなんて。
じゃあ今から10年後、30歳を考えよう。
大学卒業して結婚する人と出会って、かわいいお嫁さんになってる気がする。
なんも成長してない。
お米が好きなことについて
お米が好きだ。
父親の遺伝だと思う。
父は晩酌でおかずを食べ、父のお酒が終わり、家族の食事が済んだ頃、母に『ごはんちょうだい』と言ってごはんと味噌汁だけ出してもらっていた。
わたしは小さい時食が細く、ごはんを食べないことで両親を困らせてきたが、父が晩酌の後食べてるごはんを、父の大きいお茶碗と長い箸で『あーん』してもらって一口ずつ食べさせてもらうのが大好きだった。卑しいことだけど、すっごくおいしかった。当時の家庭環境(この話は長くなるのでまた今度)もあるのだと思うが、母に『あーん』してもらうのとは格が違った。母には申し訳ない。
最近、一般の人のいうごはんを食べるは『おかずを食べる』ことを指すのではないかということに気づいた。みんなは『おかずを食べる。おかずばかり食べるのがしんどいからお米を食べるよね。』ぐらいの心意気でお米を食べている気がする。何を言っているのかわからないかもしれないが、わたしにとってごはんを食べるといえば、『お米を食べる。そのためにおかずがあればさらにお米が美味しくなる!』と、完璧にお米を主役に捉えている。
前者も後者もごはんがおいしく食べれればどっちでもいいが、わたしにごはんを『あーん』してくれていた父もアラフィフ。父がスポーツマンでガリガリひょろひょろだった私が小さい時はお酒を飲んだ後ごはんを食べても大丈夫だったが、最近は腹が出てきている。私もああなるんだろうなと思いながら、最近は『あさひ、ごはんちょうだい』という父にごはんをよそってあげている。もう『あーん』はしてもらってない。