2018.6.3.sun-2018.6.9.sat
サトラレについて
今回は勇気を出して、国家機密に触れることを書く。
私はサトラレかもしれない。と思っている 。
サトラレ」とは、あらゆる思考が思念波となって周囲に伝播してしまう症状を示す架空の病名またはその患者をさす。正式名称は「先天性R型脳梁変成症」。サトラレは、例外なく国益に関わるほどの天才であるが、本人に告知すれば全ての思考を周囲に知られる苦痛から精神崩壊を招いてしまうため、日本ではサトラレ対策委員会なる組織が保護している、というのが物語の基本構造となっている。
最初にサトラレを読んだのは高2の時。
その時は、
「面白いファンタジーだな~」
ぐらいにしか思ってなかった。
けど、高3になって
「なんだかみんな、私の気持ちを含め、他人の気持ちをよく考えて動いててすごいな」
「なんでみんなそんなに人の気持ちがわかるんだろう」
「こんなに人の気持ちがわからないのってもしかして私だけなんじゃなかろうか」
「もしかして、私がサトラレだからみんな私の思念派を浴びつつ、私の生活に影響がないようにそれっぽくふるまってくれてる⁈」
と思うようになった。
でも私がサトラレだとしたら、好きな人のこと好きって思ったら思念派が伝わるし、嫌な人嫌って思ったら思念派が伝わるってことだ。
すごい嫌だ。
みんな思うことはいろいろあるけど、いい感じにしようとするからうまくいってるのであって、私がサトラレだからみんなうまくやろうとしてくれてるのだとしたらとても悲しい。
そんなことを思って落ち込んだ時期もあったけど、大学生になってからは、いかにサトラレの性質をうまく利用するか考えて行動している。
例えば、
「あの子と仲良くなりたい!」
と思って話かけてもらえたらラッキーだし、話しかけてもらえなかったら、
「サトラレ対策委員会にストップかけられているんだな」
と思って自分から話しかける。
自分の思考駄々漏れで、私の思考を読む相手以上にはなれないけど、相手の気持ちを考えることはできるはずだ。
今年の3月帰省した時に、
私「私さ...サトラレじゃないかな...?」
母「サトラレじゃ...ない...けど...」
私「えっ⁈ ”けど⁈” けどって何⁈」
母「いや...人の立場に立って物事を考えてて、賢いなと思う...」
という会話をした。
話...逸らされた...‼
ま、ここでこれだけこんなこと書いても、サトラレ対策委員会に保護されてるから、「しばた、サトラレだよ。」なんて教えてくれる人、いないんだろうな。
私のいいところについて
何となく2回生前期、頑張れないでいる。
春休みの「2回生頑張るぞ~!」の気持ちのまま履修組んだから、毎日1限で、獲得可能単位ぴったり詰めてて、逃げ場がない。
学祭を言い訳にしていたけど、学祭も終わってしまった今、すっかりただのだらだらした体力のない学生だ。
そんなだらだらした時間の中で、本を読んだり、お酒を飲んだり、お料理をしたり、文章を書いたり、友達と夜更かししたり、一人思考したりしている。
だがこのだらだら生活のなかでだらだら生活自ずから終止符を打った。
月曜1限、起きたら9時で絶望。諦め。
1限諦めたからといって特に他のすべきことをするわけでなく、だらだらとしている中で
「私のいいところってどこだっけ」
という思考に至った。
別に病んでるわけじゃなくて、最近電影少女の録画を観ていて、
「おまえのいいとこみーっけ」
というアイちゃんがめっちゃ可愛くて思いついただけ。
”あなたのいいところはどこですか?”
この質問、誰からいつされても困っちゃうから、テンプレートを用意しておきたい。
両親になって言われて育ったっけ?
面接練習の時はなんて答えてたっけ?
って思考を巡らす中で思い出した私のいいところ
頑張り屋さんなところだった。
こないだはことちゃんに
「あさひは疲れてるから仕方ないよ~」
と言われ、今日はチャンモエに
「あさひちゃんお疲れ様~」
と言われた。
みんな私がさぞ疲れていると思って私に激アマだが、ことちゃんの方がどう考えても疲れてるし、遠方通学してるチャンモエの方がどう考えてもお疲れ様でしょ。
そう、
”頑張り屋さんでいて、「別に頑張ってませんよ~」って顔してる”
のが私のいいところだった。
逆にいったら私のいいところ、そこぐらいしかない。
全然頑張ってないのに疲れた顔して、頑張った感出して、みんなに気をつかってもらってるの、よくないぞ!わたし!
だらだらと月曜更新のこの日記を水曜あたりに更新してたのも、よくないぞ!わたし!
今週は月曜21時に間に合いそうだ。
この日記の公開を皮切りに、頑張り屋さんに戻るぞ!