言葉中毒
生まれ持っての活字中毒である。
与えられた本や文章(新聞雑誌チラシポスターメニューの類も含め)は全て読む。
ドレッシングの成分表示や、シャンプーの成分表示も食事中や入浴中に全部目を通し、点字?的なのも全部触ってどんなことが書いてあるか想像する。
電子レンジの横の基盤回路図みたいなのもずっと見てる。
何が書いてあるかが重要ではなくて、文字という記号を通して目が忙しければ満足するのである。
だから、学校から送られてきたメールの添付ファイルが全文文字化けしていても、一通り読もうとしてみる。何か法則性がないか、どれぐらいの本文がこの文字量に文字化けしているのか想像してみる。
文字が読めるようになった幼少期からのこの症状に「活字中毒」という都合の良い言葉を当てはめるようになったのは大学生になってからである。学食でゼミの人たちとおやつを食べながらミーティングしているときにお菓子の成分表示を読んでいると、何を読んでいるのか聞かれ、事情を説明すると「活字中毒なんだね」と言われた。
活字だけでなく、話し言葉に対する興味も止まらない。
例えば、大学の調査で埃っぽい建物に入った時、さっきまでみんなで「埃っぽい!」って言っていたのにメンバーのうちの一人が「けむたい」って言った時
さっきは「埃っぽい」って言ったのに、なんで今は「けむたい」って言ったの?
どういう意味で使ったの?
どうしてそっちを選んだの?
と、聞きまくってしまう。
家族や親しい仲の人に対してよくやってしまう。大抵
「出ました。言葉狩り。」
とか
「言葉狩りすな!!!」
って流されてしまう。
確かにめんどくせえよなと思う。
もう大人だし、辞めたいのだけど、ワードハンターとしての血が騒ぐ。
言葉を用いて表されている内容よりも、そのものを表すのに何故その言葉を選ぶのか、その言葉を用いる人がどういう意図で言葉を用いるのかを考えるのが楽しい。
自分が話す時や、こうしてブログを書くときも、どの言葉をどういう意図で選ぶか「めちゃくちゃ」考えている。
さて、ここで問題です。「めちゃくちゃ」はどういう意図で使ったでしょう。
正解は来週の水曜19時に。