週刊瞬間

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妄想シャンプー

 

妄想シャンプー

「こちらへどうぞ〜」

前回来た時と同じ、2席あるうち、扉に近い側の席に案内される。

「今日はどのようにしましょうか。」

ちょうど肩甲骨が引っかかる高さにある背もたれ、立派な肘掛、重厚感のある革張りの椅子に腰をかけるや否や、前来た時から勝手に担当になっているお兄さんに聞かれる。前回帰り際に名刺をもらったのに忘れた。

インターンシップが始まるので、暗めの髪色にしてください。あと、しっかりスいてください。暑いので。」

太ももに張り付くスカートを指先で剥がして椅子に座り直しながら答える。お兄さんは私の顔周りの髪を撫でながら鏡越しに聞いてくる。

「前髪は?」

「お辞儀した時、目にかからない程度で。」

就活のマナーブックに載っていた通りの文言が口をついて出る。私の首には乾燥機のにおいがするタオルが巻かれた。

「りょーかい。いつもの色を暗くした感じで、前髪はちょい短めね。」

黒いケープが私を椅子ごと包み込み、手だけちょこんと出した状態になったとき、ふと、先週の深夜番組でお笑い芸人が話していたことを思い出す。「美容室で手渡される雑誌で、自分が他人からどう見られているかわかる。」坊主頭のお笑い芸人は、主婦向けの料理雑誌が手渡されたと嘆いていた。私の前に置かれたのは、いわゆる「赤文字系」のファッション雑誌。弟の部屋に飾ってあったポスターと同じアイドルの女の子が、のせすぎのチークに、うるんだ瞳でこちらを見ていた。

「ちょっと待っててね~」

 カラーの薬剤を作りに行くお兄さんを見送り、3か月に一度、美容院でしか見ることのないファッション誌を開くと、「この夏はヘルシーオレンジ!」だとか、「涼し気ブルーで目元からクール」とか「ふんわりピンクで彼もくぎ付け!」とか、3か月前と同じようなことが書いてあるし、結局何色でもいいし、好きな色を、着たい服を身に着けるのが一番だよな、と思う。

 お兄さんが戻ってきた。ペタペタペタと、カラーの薬剤が頭のてっぺん、分け目のあたりから順に塗り広げられていく。毎日暑い話、天気の話、夏休みがいつまでか、大学生の夏休みは長くて羨ましい、当たり障りのなさすぎる会話が続く。たまに「頭皮に違和感あったら教えてね」とか「暑くない?」とか。こういう場面で「暑いです。」とか「かゆいです。」とか言うことが苦手。歯医者で「痛かったら右手を挙げてください。」も、めちゃめちゃ痛くても挙げたことがない。今回はクーラーが効いているので、火照った頭に冷たいカラーの薬剤が塗り広げられていく感覚が心地よい。ケープの中で手足は温まり、「頭寒足熱」の言葉のままに眠たくなってしまった。

 目を覚ましたのは

「気持ちよく寝てるのにごめんね、シャンプー台にお願いします。」

お兄さんの声。15分ほど眠っただろうか。

「爆睡だったね~。すっきりしたでしょ~。」

黒くて大きな、家電量販店でお試しで座ったことのある高級マッサージチェアのような椅子に深く座って、眠っている間に頭に巻かれていたラップが剥がされていく。頭にラップって、何度髪を染めても滑稽すぎて慣れない。お兄さんと二人の空間だし、私の頭にラップを巻いたのはお兄さんなのに、恥ずかしい。椅子がゆっくりと倒され、仰向けの首をシャンプー台にのせる。顔には半分に畳んだガーゼがのせられ、これまた、臨終の人の顔にかける「顔伏せの白布」を連想してしまって、恥ずかしい。

 お兄さんが私の髪を少し擦り薬品を落とす。

「ちゃんと染まってるかな~」

え、今更?ちゃんと染まってなかったら、困る。今回のインターンシップで私は内々定をもらって、残り1年半の学生生活を就活なんかに囚われずに過ごしたい。このインターンシップが終わったら、もうどんな髪色になってもいいから、今回だけはちゃんと黒っぽく染まった髪で、インターンシップを成功させたい。

まって、私、黒っぽく染めてくださいってお兄さんに言ってない。お兄さんは「いつもの色を暗くした感じ」にするって言った。「いつも」って何?ここの美容院来るの2回目なんですけど。目をつぶってぐるぐる考えていると、本当に目が回ってくる。一度はパッと目を開けたが、ガーゼが薄く、お兄さんと目が合ってしまった気がして、もう二度と目を開けられなくなってしまった。お兄さんは全く話しかけてこなくなった。その時、シャンプー台にのせている首元にチリリと、熱いような切り傷を押した時のような痛みが走る。痛みはチリリの一発だったが、実はこのお兄さん、マッドサイエンティストで、私がカラーの薬剤だと思っているのはとんでもない劇薬で、人体実験をされているのではなかろうか。染めている最中に聞かれた「頭皮の違和感」、「暑くない?」は「熱くない?」で、劇薬の効き目を確かめたのではなかろうか。今、首とシャンプー台の間に敷かれたホットタオルも、肩こりを癒すためではなく、チリリとしたのをごまかすためのもので、本当は冷たいタオルなのではなかろうか。頭から首にかけて、赤く爛れていく。痛いのか熱いのかわからない。シャワーの水流に合わせて、爛れた皮膚がドロドロと溶けてシャンプー台の細い排水管をサラサラと流れていく。頭蓋骨、脳みそも溶け始めたところで私がやっと

「痛い!熱いです!」

と声を上げようとするが、既に私の口からは

「いあいぃ!あういえうぅ!」

喃語しか出ない。マッドサイエンティストのお兄さんは

「お痒い所ございませんか~。」

なんて聞いてくるが、直に私は痛いも熱いも感じなくなる。

「御臨終です。」

私には本物の顔伏せの白布がかけられる。

「お疲れさまでした~。」

ガーゼが顔から外されるのに合わせて目を開ける。意識はしっかりしているし、、首元にチリリとした痛みもない。お兄さんに連れられて最初に案内されたドア側の席に戻り、チラと鏡をに目をやると、長洲小力のように濡れ髪オールバックの私が映った。恥ずかしい。

ドライヤーで髪を乾かしてもらうと、まあなんて素敵な色。黒に近い茶色で、自然に、就活生らしくなっている。真っ黒よりも私に似合っている。首元のチリリはきっと、ケープのマジックテープが引っ掛かったか何かだろう。サクサクと髪の毛全体をスかれながら、お兄さんの奥さんがアイドルにはまっていて、音楽番組を必ず録画していること、中でもファッション誌の表紙の女の子がお気に入りで、「ハルピー」のうちわを手造りして、来月のライブに行くことを話した。あと、お兄さんは一人称が「山田」で、このお兄さんが山田さんであることも思い出せた。

「前髪切るから目、つぶっといて」

3か月後、美容院に来るときにはちゃんと山田さんを担当として指名しよう。そして、今度は「いつもの色」と私から言って、今回と同じ素敵な色にしてもらって、ハルピーを応援したライブの感想なんかも聞こう。おでこから少し離された前髪がチョキチョキチョキという軽快で優しくて心地よいリズムで切られていく。髪の毛が線ではなく点として、それぐらい少しずつ、鼻や口元に落ちていくのを感じる。

「は~い。それじゃ、顔についた毛、とっとくね」

 ふわふわの化粧筆でパッパと顔を撫でられる。まだ私の鼻を化粧筆がくすぐっているが、そろそろかな、と思ったところでそっと目を開ける。鏡に映る私の前髪はアシンメトリーに切られたうえ、分け目が右分け、逆になっていた。「嘘やろ」と思ったが口には出さず、胸元を見ると、しっかり線の髪が大量に落ちていた。

「ハルピーも就活スーツのCMしてたよね、インターン、頑張ってね。」

確かにハルピーは前髪がアシンメトリーで短く切ってあるし、就活の面接をイメージしたCMもこの前髪でやっていた。でもね、山田さん。短すぎる前髪は、落ち着いた印象を求められる就活ではタブーとされているのですよ。あと、右わけの前髪は、幼くて頼りない印象を与えるから、つい一時間前まで私は左分けだったのですよ。もちろんそんなこと言えず、

「頭が軽くなりました。ありがとうございました。」

とだけ伝えてレジに向かう。帰りにスタンプカードを渡された。そこには前回来た時と今回の分と合わせた8個のスタンプが押されている。40個たまると、ヘッドスパがサービスしてもらえるらしい。

重たいドアを開けると、夕方なのにうだるような暑さだった。美容院のシャンプーとカラーの薬剤のにおい、外の熱気を同時に吸い込んだら、渇いた喉がさらに焼け付くような感じがした。

 

あとがき

いつもより良くかけているなと思ってくれた人、正解です。

この物語は文芸創作の授業で書いたものです。

卒論でひーひー言ってるので出来合いの物で済まします。

御夕飯みたいなこと言うとりますけど、実際最近は毎日出来合いの物で済ませています。

 

先週書いた妄想も「事実かと思った~」って言われたんで言っておきますが、妄想は100%妄想です。勘が鋭いA君なんていなければ、A君より勘が鋭い彼氏の家にも帰りません。今日の妄想みたいな適当すぎる美容師さんに髪を切ってもらったこともありません。