週刊瞬間

毎週水曜日19時更新

幼少期の記憶

 

前歯を押される記憶

2歳の時から3ヶ月に1回歯医者に通っている。

ただの定期健診で、歯磨きの指導をしてもらったり、虫歯がないか確認したりする。

乳歯から永久歯に生え変わる時に、レントゲンを撮ってもらって、顎の骨格と合わせてだいたいどんな感じの歯並びになるか予測して矯正の予定を立てたり、遺伝から虫歯や歯周病のリスクを確認して治療の予定を立てたりする。

その時わかったことの一つに、上の前歯の過剰歯があった。

前歯の奥にさらに2本前歯があり、前歯の裏側に生えてくるか、生えてこなくても通常の前歯に悪さをして曲がってしまったり重度の出っ歯になったりするというのだ。

➀永久歯生え変わる前にに過剰歯を抜いてしまう(上顎を切り、麻酔をする手術)

②過剰歯が生えてこないことを前提に歯列矯正をする

という2択を歯医者から提示された。

両親が選んだ治療法は

「前歯を指で押す」

だった。原始的矯正。

仕上げ磨きの度に押されていました。

おかげさまで出っ歯にはならず、過剰歯も生えてきていない。

ところがどっこい、22歳になった今、歯並びが変わりつつある。

左の前歯が斜めになってきている。

周りの友達がこぞって

「親知らずが生えてきて痛い~」

と言っている。

私は親知らずがない。レントゲンで何度も確認している。

だけど、過剰歯がある。

明日の朝には前歯が増えているかもしれない。

ゲロすごろくの記憶

私には年子の弟がいる。

弟が生まれた時のことは全く覚えておらず、物心ついた時には同じく物心の

ついた弟がいた。

弟は体調が悪いことが多く、いつも頭が痛かったり、おなかが痛かったりしていた。

実際はそんなことなかったのかもしれないが、ぐったりして青白い顔をした弟の顔ばかり記憶に残っている。

話は変わるが、私は「もらいゲロ芸人」である。

誰かが吐いたり、嗚咽したりしていると、つられて気持ち悪くなって一緒になって吐いてしまう。

映画「スタンド・バイ・ミー」のパイ食いコンテストのシーンも目を瞑り、耳をふさいでいたほどである。

私が3歳、弟が2歳の時、断片的な記憶しかないのだが、弟がダイニングで吐いていた。

第一発見者は私で、その場に母はいなかった。

弟を見た私はドキドキしてきて、気持ち悪くなって、吐いた。

(お母さんを呼ばなくちゃ…!)

と思い、歩き始めるが、弟は吐き続けている。

私も気持ち悪くなって、吐く。

の繰り返しで、ダイニングの床にはゲロの水溜まりがいくつもできていた。

当時覚えたばかりでお父さんに「もういっかいやろう!」とせがみまくっていた、すごろくのマス目のようだった。

ゲロに関する記憶はもう一つあるのだが、気持ち悪いのでまた今度。

 

お母さんとツーショットの記憶

1998年生まれの私が中学を卒業するまで、我が家はフィルムカメラで写真を撮っていた。

小学生の時には既にデジカメが普及していた。

フィルムカメラの事を「バカチョン」と言っていた。

友達と遊んでいる様子を父がバカチョンで撮った時、友達が

「見せてー」

とカメラの裏を見て、不思議そうな顔をしていた。

デジカメにはある液晶がバカチョンにはないのだ。

焼き増しした写真を学校に持って行ったことも何度もあった。

旅行などに行った後、バカチョンを現像に出す前、数枚フィルムが残っていて、なんでもない写真を撮ることがあった。

3歳ぐらいの時、まだ古い家に住んでいた。

父と弟はお風呂に入っていた。

お母さんが私に

「写真を撮ろう」

と言う。

居間に三脚を立てて、タイマーをセットして、お母さんの膝でくちゃくちゃに抱っこしてもらって撮った。

多分なんでもない写真だったのだが、嬉しかったこと今でも思い出す。